ウェアラブルとビッグデータによる「人」のコモディティ化
「スマートフォンの次に来る」と話題になっているIT機器が、時計や指輪型の端末、いわゆるウェアラブル端末です。スマートフォンやタブレットだと手に持って使うことが主ですが、ウェアラブル端末は文字通り身につけて使うIT機器です。
目次
様々なものがデータによる分析と最適化の対象になりつつある
NHKのクローズアップ現代でもウェアラブル端末が取り上げられていました。社員がウェアラブル端末を身につけることによって様々なデータを得て、その膨大な情報(ビッグデータ)を分析することによって業務改善を図るという取り組みが事例として紹介されていました。
例えばどの社員がいつどのくらい業務に集中できていたかや、誰とよく会話をしているか、休憩時間の過ごし方(一人で昼食か集団でか等)などから、社員間のコミュニケーションと営業成績の相関関係を導き出し、業績アップのための改善案をデータから洗い出して実行するといったような使い方です。
このように、ウェアラブル端末とビッグデータによって、個人の仕事を含めた様々なものがデータによる分析と最適化の対象になりつつある現状が垣間見えます。
個人のスキルや個性などがどんどんコモディティ(均質)化しつつある
また、これも昨今話題の3Dプリンターによって、小規模小ロットでの造形作成が行えるようになってきましたが、この3Dプリンターやウェアラブル端末をプログラムと結びつけることにより、熟練工や専門資格を有した人材でなければできないような仕事を、素人や初心者でも行えるようになりつつあります。
熟練工の経験と技術がなければ困難だったような造形作業が機械によって行えるようになり、医薬品の知識がなければ難しい手術物品の準備を、専門知識がない派遣社員が行えるなどの事例が紹介されていました。
このことについては正負両方の側面があると考えられます。
正の側面としては技術者不足の軽減や、人的利ソースの軽減による効率化などが考えられます。負の側面としては、機械やシステムに人間の仕事をますます奪われるという可能性が考えられます。
上で紹介したような技術やデバイスが広がるにつれて起こり得ることとしては、個人のスキルや個性などがどんどんコモディティ(均質)化してくると考えています。専門の資格や技術を持たずとも、IT機器の補助によって初心者が専門技術者と同等の仕事ができるのであれば、そこに少なくともスキル上の優劣がなくなることになります。
コモディティの先にあるのは低価格・低コストを追求する熾烈な競争への参加
一見良い面が多く見えるかもしれませんが、コモディティ化の先にあるのは往々にして低価格・低コストを追求する熾烈な競争環境です。質における優劣がなくなった場合、価格での競争力がモノを言うのはごく自然なことですし、他の分野でもよく当てはまるケースです。
また、人間の作業を補助している程度であればまだしも、いずれは人間の作業そのものが機械に取って代わられる可能性も否定できませんし、実際そのようにして淘汰されていった仕事はあまり知られていないだけで結構あります。パソコンというジャンルで言えば写植の仕事であったり、物流の世界で言えば急速な物流戦争の中で、より効率的な配送システムを実現するためのシステム普及が海外で進みつつあるとも聞いています。物流については日本でもヤマト運輸が大規模な物流拠点を開発中であったり、佐川急便がアマゾンとの提携を解消するなど、インターネットの普及に伴うこちらの業界の動きも活発なようです。
個人がコモディティ化を脱するには
話が飛びましたが、ウェアラブルなど様々なIT機器と技術によって、個人がコモディティ化の波に飲み込まれていく可能性は十分考えられます。やがては映画「マトリックス」のように、脳内にシステムをインストールすることによって新しい技術を瞬時に身につけるといったような空想めいたことも現実のものになる可能性があります。ウェアラブル端末は体内にそれを埋め込むようなものは現状まだ出てきていないようですが、メガネ型や時計型などの身につけるタイプから、徐々に耳の内側、口の内側と、体の中に設置するようなタイプが出てくるかもしれません。
機械と技術の進化に対して人それぞれができることは何が考えられるでしょうか。先の未来を予測して備えることは難しいかもしれませんが、個人的に考えられることとして、「常に自らを陳腐化しないこと」かと思います。
自分が今持っている技術や知識、経験や実績は永遠に持続されるものではなく、時間の経過とともにその価値を下げていきます(普遍的なものもいくつか残っていくとは思いますが)。それに対応するため、常に自分のバージョンアップを考え、学び直し、実践していくというある意味当たり前のことを地道に繰り返していくことが大切だと思います。
また、冒頭で紹介したビッグデータの分析技術についても、それが永久に普遍的・絶対的価値をもたらすということは必ずしもないと考えています。特定秘密保護法や企業の情報漏洩など、情報やデータに関する懸念は大規模かつ日増しに大きくなっており、またソーシャルメディアにおいてもLINEなどごく閉じられた空間でのコミュニケーション利用の増加もみられます。
「情報」という目に見えず、コントロールの難しいものについて今後どういう動きがあるのか目が離せませんが、いずれにしても誰もが少なからず関係があることとして考えておく必要があるのではないかと思っています。
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。