フリーランス

生成AIデトックスとか

生成AIから離れ、窓辺で深呼吸する人物と閉じかけのノートパソコン

アイキャッチ画像を生成AIで作っておいてなんですが、「生成AI使うの、ちょっと控えてみようか」という生成AIデトックスが、今後は案外と広がっていくんじゃないかなとか思ったりしています。

その便利から、猫も杓子も、ビジネスマンも主婦も学生も子どもも、生成AIはあらゆる人に広く使われるようになってきたと感じています。実際自分もとくに仕事の面ではかなり重宝していて、仕事の内容によっては生成AIがないとできなかったことも多くあります。

一方で、あまりに有用なためについ生成AIに頼ってしまうことで、自分の中で以前より劣化した部分もあるなと感じるところもあります。個人的には読解に関わるパワーと集中力、持続力が、生成AIを使う前よりも下がった実感があります。ひょっとしたらただの加齢による自然な衰えかもと思ったりしなくもないですが、それを考慮しても生成AIの影響がないわけではなさそうな気がしていて。

書籍「AI脳クライシス」では、教育現場での生成AI使用について厳しい批判がされていて、少なくとも小学校低学年には生成AIを使わせない方がよいのではという記述があります。教育分野における生成AIについては賛否両論ありますが、これについてはわりと著者に賛成派です。これから社会に出ていく子どもたちにとって生成AIと無関係でいることは難しく、「生成AIが子どもたちに与える影響は使い方次第だ」という意見もありますが、それとは少し位相が違う点を考えてみる必要があるのかなとも思ったりしています。

良かれ悪かれ誰もが生成AIの影響を受ける世の中において、その恩恵を享受しつつAIに振り回されず、人としての能力を維持するためには、AIとのよい距離感を個々人が保っていくことが必要なんじゃないかなと思っていて。そのためにできることはいろいろあると思うんですが、個人的には読書と書くこと(たとえばジャーナリングなど)などのアナログかつ能動的な習慣をもつことが良いのではと思っています。

読書と言えば、長いこと止めていた持ち寄り読書会、そろそろまた再開していきたいと考えています。

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