新聞とジャーナリズム。変化と再構築

ちょくちょく番組表見てたのに、なぜこの日に限って忘れてたんだろう…。クローズアップ現代、昨日は「変わる巨大メディア・新聞」ということで、変わりゆく新聞の内外環境についてな内容でした。分かってたら絶対最初から最後まで見たはずなんですが、残念ながら半分くらいしか見えずでした。でもすごく面白かったです。

インターネット広告以外は軒並み下落傾向にあるマス広告、その中でも新聞の置かれている状況は特に厳しく、アメリカでは廃刊はもちろん、大手新聞社も厳しい経営の渦中にあります。途中見の内容でしたが個人的に興味引かれたのは「ジャーナリズム」についてのくだり。ここのところ広告媒体としてしか新聞を見ていない錯覚に気づかされた感じです。アメリカの地元新聞が廃刊になった某都市では、それまで政治の善悪を監視する役割を担っていた新聞=ジャーナリズムが欠落したことで市民が危機感を募らせているというくだりも紹介されました。これらの意味でも、今アメリカ社会での新聞社の状況は非常に参考になることが多いと思います。

ゲストの立花隆さんは「ジャーナリズムはなくならない。それを必要とする市民がいる限り」と言われていました。裏を返せば新聞はなくなってもジャーナリズムは残るともいえ、実際にアメリカでは新聞社ではない新しい形態で行政を監視する体制が模索されている例も紹介されました。

これを聞いてふと、技術書の出版でおなじみオライリーの創立者でWeb2.0という言葉を提唱した一人であるティム・オライリーが来日の際にインタビューで応えた以下の言葉が思い出されました。

  • 「将来、新聞はなくなるがニュースはなくならない」
  • 「これまでジャーナリストはプロだったが、今ではブログジャーナリストや市民ジャーナリストなどが誕生している。これらの間に対決などが起こるのではないか」

もうひとつ思い出したのは、ポーランドの新聞デザイナー、ジャチェック・ウツコ。東ヨーロッパの新聞をリデザインすることで数多くの賞を受賞するだけでなく、購読数を100%まで回復させたと言われる人です。そのウツコが「良いデザインは新聞を救うことができるか?」という題名でスピーチした動画が以下のものです。

スライドに出てくる紙面はいずれも新聞とは思えないようなグラフィカルなものが多く、引き込まれる感じがします。でもおそらくここまで来るのには相当の苦労や壁があったのだろうなと思います。日本語訳を公開されているサイトがありましたのでそちらから以下引用させていただきます。

新聞は今にも死絶しそうです。読者は古い情報にお金を払いたがらず、広告主もそれに従っています。それよりも携帯電話やパソコンの方が、新聞の日曜版より、よっぽど手軽です。さらに森林も保護しなければならない。これではどんな産業もダメになってしまうでしょう。ですので「新聞を救う術はあるのか?」と質問を変えるべきです。

新聞の将来について、幾つかのシナリオが考えられます。ある人は「無料であるべきだ」と言ったり、「タブロイドか、もっと小さなA4サイズがいい」、「地域コミュニティごとに発行する地方紙がよい」、「小さなビジネスなどニッチを狙うべき」と言う。しかし、無料にならずとも、とても高コストになってしまう。「新聞は意見主体であるべきだ」、「ニュースは少なく、見解を多く」とか、「出来れば朝食のときに読みたい」、「後の時間は通勤の車の中でラジオを聴くし、会社ではメールチェック、夜はテレビ」…。どれも良さそうに聞こえますが、どれも時間稼ぎにしかなりません。長い眼で見たら、新聞が生き残るべき実際的な意味はないと思うからです。そこで我々に何が出来るのでしょうか?

私はこうしました。20年前、ポニーエというスウェーデンの出版社が、旧ソ連圏で新聞を始めました。そして数年後には中央と東ヨーロッパで複数の新聞を発行するようになりました。それらは経験の浅いスタッフによって運営され、レイアウトなど「見た目」を重んじる文化がなく、かける予算もありません。多くの新聞にはアートディレクターすらいませんでした。私は新聞のアートディレクターになろうと決めました。それ以前、私は建築家で、祖母に一度「お前は何で生計を立ててるの?」と聞かれたことがあります。私は「新聞のデザインをしているんだ」と答えました。「デザインするものなんてないじゃない。つまらない活字だけ」。彼女は正しかった。私はフラストレーションを貯めていました。

ある日、ロンドンに来て「シルク・ド・ソレイユ」のショーを見た時、大発見をしたのです。「こいつらは『気味の悪い、しけた興行』というものを、考えられる限り最高の『パフォーマンスアート』に仕立て上げた。だから『つまらない新聞』でも同じことが出来るかもしれない!」と思ったのです。そしてその通りにしました。一つ一つデザインし直したのです。一面が我々の特徴となりました。私が読者と近い距離で対話するための私的なチャンネルでした。ここでチームワークや協働について話すつもりはありません。私のやり方はとても利己的でした。私はアーティストとして主張がしたかった。私なりの現実の解釈を示したかった。新聞ではなく、ポスターが作りたかった。雑誌ですらない、ポスターです。我々は文字の見せ方やイラストや写真でも常に実験していました。とても楽しみました。

そしてそれらはすぐに結果をもたらし始めました。ポーランドでは「カバーオブザイヤー」に3年連続で選ばれ、ラトビア、リトアニア、エストニアなど、中央ヨーロッパでも評価されました。私たちの秘密は、特徴のある一面だけではなく、新聞全体を、ひとつの作品として扱っていたことです。まるで楽曲のように、リズムや起伏があります。デザインは、これを読者に体感させる責任があるのです。ページをめくりながら、読者は色々なことを感じる。私はその体験に責任を持っているのです。

私たちは、見開きをひとつのページと捉えています。それは、読者がそのように感じているからです。このロシア語の新聞の見開きは、スペイン最大の情報デザインアワードで受賞しました。中でも一番は「ニュースデザイン協会」の賞でした。ポーランドでこの新聞をデザインし直してから、一年もたたないうちに、世界一素晴らしいデザインの新聞となったのです。二年後にはエストニアの新聞でも同じ賞を頂きました。すごくないですか?もっとすごいのは、これらの新聞の購読数が、どんどん増えていったことです。

たとえば、ロシアでは1年後に 11%増、リデザイン後3年目には29%増です。ポーランドも同様で初年度13%増、3年目に35%増加しました。このグラフを見てお分かりの通り、何年もの停滞期のあと、リデザインするや否や、新聞は「成長」し始めました。中でも1番のヒットはブルガリアの、100%増でした。これはすごかった。

デザインがこれを成し遂げたのでしょうか?そうではないのです。デザインはプロセスの一環に過ぎません。私たちがとったプロセスは、外見を変えるだけではなかったのです。商品を完全に改良することでした。私は建築における「機能」と「カタチ」の鉄則を、新聞の「コンテンツ」と、「デザイン」に応用したのです。さらに、その上に戦略を乗せました。

最初に、大切なことを思考します。「何のためにやるのか?目標はどこにあるのか?」そこから「コンテンツ」を調整していきます。その後、2ヶ月後ぐらいにデザインを始めます。ただ原稿を求めるだけでなく、なぜこんなにビジネスの質問をしてくるのだ?と最初は上司たちはすごく驚きました。でもすぐに、これがデザイナーという役割なのだと理解されました。プロセスの最初から最後まで関わることです。

ここから得られる教訓とはなんでしょう?まず最初の教訓は、デザインは商品を変えるだけでなく、ワークフローを変えることが出来るのです。つまり、会社のすべてを変えてしまえる。ブランディングも会社そのものも変えることが出来る。さらに、あなた自身も変えてしまえるのです。誰がそう出来るか?それはデザイナーなのです。デザイナーに権限を与えてください。

二つ目の教訓。こちらのほうが重要です。皆さんも私のように貧しい国に住み、小さな会社の、つまらない部署で働きながら、予算も人材も、何もないところで、それでも自分の仕事を最高のレベルに持っていくことは可能なのです。誰でもできます。必要なのは、ひらめきと、ビジョンと、決断力だけです。そして、ただ「良い」だけでは足りないと覚えておくことです。ありがとうございました。

このエントリーで自分が何を言いたかったのかはまとまり切れないんですが、覚え書きの意味で思い出したことをアップしてみました。

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