テクノロジーがあらゆる雇用を奪う可能性

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉ここしばらくビジネス系書籍や雑誌で、仕事や雇用について取り上げたものを多く目にする気がします。著名な書籍で「ワーク・シフト」、雑誌だと「週刊 東洋経済 2012年 11/17号」の解雇失業特集、「COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2013年 01月号」の巻頭特集「世界から仕事が消えてゆく」のほか、テレビでも盛んにこのテーマについて、失業問題、企業の高年齢者雇用安定法(希望により定年を65歳まで延長することを法律によって義務化)等々、私たちの生活に近い話題でもあるので誰もが気になるところだと思います。

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2013年 01月号 [雑誌]クーリエ・ジャポン2013年1月号では、グローバル化とテクノロジーの進化により、従来の組み立てラインの従事者等はロボットに仕事を奪われるその時が現実に近づきつつあることを、事例とともに示唆しています。テクノロジーにより進化したロボットは、短時間の設定変更で様々な工程を自在に行うことができるようになり、これまで人の手で行われていた仕事をより短時間で正確に行うことができつつあるようです。

こういった技術がより進化してくると、たとえその道で熟練と言われている職人でさえ、その仕事自体がロボットのプログラミング次第で代替可能になった場合、決して安泰ではないわけです。現実に週刊東洋経済2012年11月17日号の特集では、優秀な技術者がリストラ策の一環で閑職に追いやられる例も紹介されています。これらのことは、いかにその時優れた技術を持っていたとしても、時代と外部環境が変わってくることでその強みが無力化してくることを示唆していると思います。

上で触れた組み立てラインの仕事や流通に関わる業務について、それらをオートメーション(自動)化することの需要は従来大手企業にありました。これはオートメーションに必要な設備投資に莫大な費用がかかることもありますが、そのシステムが単一の工程にしか適用しにくい(複数のタスクを一つのロボットで行うことが難しかった)ことなどが要因としてありましたが、これらの問題もテクノロジーの進化によって状況が変わってきそうです。

自動掃除機「ルンバ」を開発したロドニー・ブルックスによる新しいヒューマノイド・ロボット「バクスター」は、格段に短時間で新しい作業工程を覚えさせることができ、かつ安価で提供される可能性があるロボットとして話題になりつつあるそうです(この時点ではまだ市場に出ていないそうです)。「バクスター」が市場に登場することでアメリカの数百万単位に及ぶ雇用がこのロボットに置き換えられる可能性があるとまで言われており、「バクスター」は人件費の削減はもちろんのこと、正確な作業、人口の少ない地域への派遣、気候の極端な地域での活動、24時間稼働など、人の能力を遥かに超えた機能を持ってその登場が期待と不安を持って待たれているそうです。

また、「バクスター」を売り込むターゲットとして見込まれているのが、従来のような大手企業ではなく中小企業向けだということも注目です。安価で技術の優れたこれらのロボットが広く普及する可能性があり、雇用の問題に劇的な拍車をかける可能性が指摘されています(ブルックスはこれに対して全くの杞憂だとしていますが、普通に考えて労働市場に劇的な変化が起きないと思う方がおかしいかと)。

「バクスター」などこれら新しいテクノロジーによる脅威は様々な業種を対象とします。流通はもちろん、医療業界ですらコンピュータのハイテク知能による業務代替の可能性が進みつつあるとも言われています。

週刊 東洋経済 2012年 11/17号 [雑誌]これまで正社員は法律上解雇されにくいとされていたことについても実態は変わってきており、すでにあの手この手によるリストラは水面下で進められているそうで、「リストラは会社員の宿命」という類の見出しもよく見られます。NECやパナソニック、ルネサスといった大手企業の現在の状況を見れば、最早企業規模が安定に担保を持つということは言える状態ではないのは明らかです(ちなみにクーリエの特集では「10年後も食える仕事 2020年のハローワーク」というコーナーで、2020年代に需要の伸びる可能セのある職業も紹介されています)。

こういった状況の上では組織に属する一人員としてではなく、一個人として今とこれからの状況を踏まえてこれからの自分にとって何が必要であり、何を取捨選択していき、何を身につけていくのかを日々考えながら研鑽を積んでいく必要があると思っています。

また、この問題については「いかに生くべきか」ということも考えた方が良いと個人的には考えています。仕事が全てではないでしょうが、人生の多くの時間を仕事というものに使うのが多くの場合であり、その意味ではいかにして充実な生き方をするのかは、「いかに仕事をするか」ということとも言えると思います。ヒルティの「幸福論」ではその一節に仕事からしか幸福を得られないという考え方があります。

仕事の種類が幸福にするのではなくて、創造と成功の歓喜が幸福にする。(中略)最大の不幸は、仕事のない生活であり、生涯の終わりにその実りを見ることのない生活である。

今の社会状況で理想の仕事に就くことは簡単なことではないかもしれませんが、人生の意味というかそもそも論というか、どちらかといえば幸せに生きたいと思うのが普通であると考えれば、やはりいかに生きるか、いかに仕事をするかは人それぞれにとって大きなテーマであると考えさせられます。

「テクノロジーがあらゆる雇用を奪う可能性」への2件のフィードバック

  1. PCなどの導入による効率化を突き詰めれば人はどんどん減っていく。PCを使ってるつもりがいつのまにかPCに追い出される。これ5年前くらいから似たような話を弘前の経営者の方が専修学校へ通う学生に話してたりしてまして。

    若い時は使えることが大事で面白いし新しいモノを吸収して使いこなし感が高いっすけど、経験や年数を重ねていくと、所詮道具なんだから使う側が伸びないとダメだよね、と感じてきました。

    ここ数年はそういうことを意識するようにはしてますが、様々な環境があるなか、どのように進んでいくのが自分には向いているのか、楽しくもあり不安でもあります

  2. >須藤さん

    コメントありがとうございます。
    「使う側が伸びないとダメだよね」っていうのはその通りだと思います。
    ただ確かに手段を磨くのが大事な時もありますし、この辺は手段と目的を区別しておく認識と、その時自分に適したバランスを常に意識しておかないとなと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。