幸せは深い悲しみで支えられている

長く使っている日記アプリ「DAYONE」は、過去同日に書いた日記を振り返る機能がついています。

文章で書いている日記もあれば、出かけた先の写真や気になったニュース記事のスクリーンショットなど、いろいろな方法で記録しているのを見るのは面白かったりします。

去年の昨日メモをしていたのは、ある本の1ページ。そこには「河合隼雄の幸福論」からの一節が書いてありました。

幸福ということが、どれほど素晴らしく、あるいは輝かしく見えるとしてもそれが深い悲しみによって支えられていない限り、浮ついたものでしかない、ということを強調したい。

おそらく大切なのはそんな悲しみの方なのであろう。

河合隼雄「河合隼雄の幸福論」

このある本とは「行く先はいつも名著が教えてくれる」で、上の言葉に対して著者は以下のように解説しています。

人間の幸福が深い厚みをもつためには、その裏側で「深い悲しみ」によって支えられていなければならない。でなければ、その幸福は浅薄になってしまうというのです。

「行く先はいつも名著が教えてくれる」

モンゴル800の「小さな恋のうた」の歌詞には「ほら あなたにとって 大事な人ほど すぐそばにいるの」という一節があり、印象深くて覚えています。

大切なものほど気づきにくい。すぐ近くにありすぎてそのありがたみや、かけがえのなさに気づきにくい。

あるいはそうした大切なものを失ってしまった悲しい経験があるからこそ、癒えない傷と共に得たものがある。そんなことが誰しもあるんじゃないでしょうか。

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