折り畳まれた新聞が重なっている様子

情報の質を求めて:生成AI隆盛で思う新聞の価値

購読する新聞の数を増やしてしばらく経っています。

読売は電子版と紙のセットなので毎朝新聞が届きます。新聞てあっという間に物量として部屋の片隅スペースを埋めていきますねって改めて感じています。

なぜ購読する新聞の数を増やしているのか、自分でも漠然としていたんですが、改めて考えると本能的な危機察知能力というか防衛本能が働いているからなのかなと思ったりしています。

なにぶん最近の生成AI関連の進歩が凄すぎて。とくに画像や映像系のコンテンツは、生成AIでクオリティの高いものがかんたんに作成できるようになっていて、その真偽を見極めるのがどんどん難しくなってきています。

少し前にも、首相が卑猥な言葉を喋っているような映像を作成した件がニュースで騒がれていました。こうした技術がより進化してくるのは確実で、本物か偽物かを見極めるためのコストが恐ろしく跳ね上がる可能性が高まってくると思っています。

では何を信頼して情報を得ればいいのか。手っ取り早く情報の信頼性を担保できるメディアとして考えられるのは新聞なのではと個人的には思っています。発行部数こそ大きく減らしているものの、多くの人の手で取材・校閲・編集が行われているという点、それをほぼ毎日出力できる組織力。もし同じような情報を個人で得ようとした場合の手間やコストを考えた場合、新聞を読まない手はないのではと。

もちろん新聞に書いてあることすべてが正しいとは限らないですが、身元の不確かなネットの情報を漁るよりはよほど良い気はしています。時間に余裕があれば全国紙をもう一紙くらい増やしたいところですが、そうも言っていられないし読みたい本も溜まっているので、まずは今購読している新聞をきちんと読みつつ本を読む時間を作っていきたいです。

関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。