紙のノート代わりにiPad ProとApple Pencilを使ってると便利すぎて不便益のことを考える
iPad ProとApple Pencil、そしてSmart Keyboard Folioを使っていて感じたことをひとつ。
Apple Pencilが登場してから、紙のノート代わりにiPadを使うことが増えました。
新しいiPad ProとApple Pencilだと、マグネットでApple Pencilを常にiPadへくっつけておけるので、ペンケースにApple Pencilを入れていた頃よりも格段に使いやすくなりました。
紙のノートは長年A6サイズのルーズリーフタイプを使っていたのですが、Apple Pencilの登場もあり、今年ついにA6サイズを止めて小さなモレスキンのノートを使うようになりました。
紙のノートが小さくても、iPad ProとApple Pencilを使えば大きな紙を用意してメモができるようなものなので、かさばる大きめのノートを持ち歩く必要がなくなりました。
iPad ProとApple Pencilであれば上のように大きな紙の代わりにもなりますし、いざとなればカバー兼キーボードのSmart Keyboard Folioでタイピングすることもできます。
この3セットのおかげで自分の仕事の生産性というか快適さはかなりアップしたと思います。
とはいえ一方で、こうした便利さに溺れてしまいそうなところに不安を感じたりもします。
今年は災害が多かったですが、災害時には電気を使うものは軒並み使用が制限されます。
青森は今年そういった災害は少なかったのですが、いつまた震災のようなことが起こるとも限りません。
そうした有事の際に、便利なツールに依存し過ぎていると、いざという時に何もできなくなってしまうのではと思うことがあります。
「不便益」とは以前読んだ本の著者による造語ですが、不便ということの中に、生きる上で大切なものがあるのではとも感じたりします。
そういった意味では、紙のノートから離れ過ぎないようにとも思いますし、一見読んでも意味のなさそうな本を読むことにも価値があるかなと思いながら、仕事と全然関係ない本を読んだりしています。
あまりに効率とか生産性とかを考えすぎると、功利主義偏重になってしまうというか、考えが狭くなってしまいそうな気がするので、いろいろ試しながら広く見たり考えたりするようにしたいと思います。
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