偏差値で測れるものと測れないもの

どこかの新聞で見かけた記事の一節が印象に残ったので、Evernoteにメモしたものがあります。

「オウム真理教には難関大学出身の若者が多かったが、偏差値で図られる教科書の内容を記憶して再現する能力では、人生の意味を理人に対して答えを与えることができない」

先日オウム事件に関係する死刑囚全員の刑が執行されたことで話題になりましたが、当事者たちの背景を語る時によく取り上げられるのが、死刑囚たちの高学歴についてです。

いずれも難関と言われる大学出身者が多く、道を誤らなければそれぞれの専門分野で大きく活躍したであろうとも言われています。しかし、当の教祖と出会いそれぞれの道は大きく変わってしまいました。

上の一説にある「教科書の内容を記憶して再現する能力」は、受験戦争で勝ち抜くためには有利な能力です。一方で受験に関してはこの再現能力のみが大きく評価される一面もあり、時に偏った評価を与えてしまう場合があると思います。

また前述のように、人生の意味を問う問題や、はっきりとした答えがないような問題に対しては、上野再現能力では対応できず、そのギャップによって思いがけず挫折や思想の転換が起きる場合があります。

昨今盛んに教養を重視する背景には、こうしたことも理由に含まれているようです。

「すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる」と言う言葉もあるように、ただその時必要なものを、効率性のみを重視して捉えるような考え方だけでなく、幅広く、一見無駄と思えるようなものを違った視点で捉え考えてみるということも必要なように思います。

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