
1次情報は必ず信頼できるか否か
「情報を得るなら2次・3次情報ではなく1次情報にあたりなさい」とはよく言われる言葉で。
たとえばインターネットの記事におけるそれぞれの情報は
- 1次情報:現場や本人の発信、元データ
- 2次情報:1次情報の解説・加工
- 3次情報:2次情報をさらに再編集したもの
といったもので、要は伝言ゲームの要領で、数が多くなるほど情報の信頼性が下がる場合があるという話です。
そのため冒頭の言葉(1次情報重視)はビジネス系・自己啓発系の本などでよく見られるアドバイスです。
ただ一方で「1次情報なら必ず信頼してもよい」とは言えない場合もあるなと、最近人と話をしていて思ったりもして。とくに個人の主観に基づく1次情報には、一歩引いた視点で眺める必要があるかなと思ったことがありました。
あるインターネットの記事で、Aさんが御本人の仕事ぶりについてポジティブに書いていたそうです。記事の内容は端的に言えば「自分はこうこうこうした工夫により他の人より仕事が早い」といったもの。
その記事を見たユーザーは「本人が書いているなら(1次情報だから)そうなんだろう。すごいなあ」と感心するかもしれません。
ただこの場合の1次情報(本人発信)は、あくまで本人の主観に基づくものであり、この場合、Aさんが「他の人より仕事が早い」という確実性は、Aさん基準の判断によるものでしかないという点に注意が必要です。
その記事を見た後日、Aさんと同じ職場で働いているBさんという方から、Aさんの仕事ぶりについて話を聞く機会がありました。するとBさんからは「Aさんは自身が得意とする分野の仕事は早いです。ただ、職場でAさんに本当の意味で求められている実務の部分では必ずしも十分な成果を挙げているわけではなく、むしろ評価はかなり低いですね」という回答が。
ネットの記事にあったAさんの主観的な内容と、Aさんの仕事ぶりを間近で観ているBさんの客観的な感想との間には、大きなギャップが存在します。この場合どちらが本当に正しいのかを確かめるには、難しいですが自分自身の目で実際の様子を観察することができればベストなんだろうと思います。
こう考えると、1次情報だと思っていたもの(本人によるネット記事)は、実は1次情報ではないのではという考え方も出てきます。情報の真贋を見極めるのは難しい面もありますが、フェイクニュースやディープフェイクが生み乱れる昨今においては、情報を冷静に正しく見定めようとする姿勢がそもそも問われているのではと思ったりしています。
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