
善は微に入り細にわたって行わなければならない
河合隼雄「こころの処方箋」を読んでいて目に留まった言葉。
本当に善を行いたいのだったら、「微に入り細にわたって行わなければならい」のである。(中略)
たとえばボランティ活動というのは、余程気をつけてやらないと、逆効果を生ぜしめたりするものなのである。
一見善行に見えることも、違う視点から見ると別の人にとっては迷惑をかけてしまっていたりすることの例などが書かれています。
ボランティアに限らず仕事もプライベートもそうだと思いますが、自分は正しい、間違っていないことをしているはずだと思っていても、他者から見たとき、そのように捉えてくれる場合もあればそうでない場合もあるということなのだと思います。
厄介なのは、そうでない場合に自分で気づきにくいこと。何せ自分では正しいと思ってやっていることなので、間違っていたり迷惑をかけてしまっていることを自分で気づくのは至難。
だからこそ微に入り細にわたって、気を配る必要があるんだと思います。自分の場合は、講座や講習の時はとくに気をつけるようにしてはいます。参加者の雰囲気や、対面した人の様子を肌で感じながら、何をどうするのが良いのかを都度考えながらです。
でも繰り返しになりますが、自分で自分の至らないところに気づきにくいのがやっぱり難しい。必ずしも良くないことに対して反応が返ってくるとは限らないし、むしろ周りは気を使って誤りを指摘しないことの方が多いと思いますし。だからこそ(略)
少しずつ次の講座が近づいてきているので、この言葉を忘れないようにして準備進めていきたいです。
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